社交ダンスの歴史

知ってた?社交ダンスのふか~い歴史

社交ダンス」という言葉をご存じの方はきっと多くいらっしゃると思います。
聞きなれたこのダンスですが、実は持っている歴史はとっても深く、当時の世界情勢までもが垣間見ることが出来るのです。

先ずは、「社交ダンス」という名称の由来からご紹介しましょう。
「社交ダンス」は、実は”Sociality Dancing(ソーシャリティダンス)”の『誤訳』から出来た言葉。日本国内では”social dance(ソシアルダンス/ソーシャルダンス)”という名前で広まりました。
しかし、英語では”Ballroom dance(ボールルームダンス)”と呼ばれる事が一般的で、日本語に訳すると、「舞踏室の踊り」という意味になり、最近ではこのボールルームダンスという名前も徐々に日本でも広まりつつあります。ちなみに、球技の”ball”と同じ綴りではありますが、ボールルームダンスの”ball”はラテン語の”balare(踊る)”が語源です。

また、最初に誕生した社交ダンスはワルツ(ウィンナワルツ)であり、そのルーツはヨーロッパの民衆が躍っていたダンスですが、以下の通り2つの説があると言われているのです。

1.フランスのプロヴァンス地方で踊られていたヴォルト
2.南ドイツからオーストリアにかけて踊られていた民族舞踏レントラー

どちらの説が有力かは、各々文献がありはっきりとした事実はわかりません。
しかし、どちらも共通しているのは、本来は民族舞踏ではあるものの舞踏晩餐会で人気を博したという点です。

では次に、「社交ダンス」のふか~い歴史を年代別に掘っていきましょう。

<12世紀~16世紀>
遡ること900年以上前、ヨーロッパに起こった芸術・思想上の転換期である「12世紀ルネサンス」。

フロアに輪を作って全員が同じ踊りをする「ラウンドダンス」というダンスが主流で、現在の社交ダンスでよく見かける「ホールド」(ダンスパートナーと手を組んだりする上半身の動き)はしませんでした。
やはりまだ男女が手を取り合って踊るという感覚は、この時代にはまだ存在していなかったように見受けられます。

その後、「ラ・ボルタ」と呼ばれる体を接触させて踊るカップルダンスが登場。
この頃から、社交ダンスは徐々に貴族たちを魅了していき、ルネサンス期(14世紀~16世紀)にかけてはヨーロッパ各地で大流行しました。

<18世紀~>
18世紀後半になると、民衆の間では男女が向かい合って踊る形式へと変化していきました。
これが現在の「社交ダンス」の誕生とされています。
ヨーロッパ諸国の宮廷の舞踏会でも若者を中心にワルツが人気を博したものの、
このダンスには男女の接触や抱擁が含まれているため、年配者や宗教関係者からは当時強く反発され、度々禁止にされていました。

<19世紀~>
従来の重厚な宮廷舞踏とともに典礼儀式などに取り入れられるようになり、宮廷では上品なダンスとして捉えられつつあったものの、やはりまだ男女が接触しながら踊る事は容認されづらく、特にイギリスでは偏見がなくなることはありませんでした。
しかしその後、ワルツを愛するヴィクトリア女王の時代がイギリスにも到来し、徐々にその偏見も緩和され、ついにヨーロッパ諸国全土でワルツが大人気となります。
また同じ頃、民衆の間ではブルースやタンゴ(アルゼンチンタンゴ)までもが広く普及していきました。

そして、鹿鳴館時代(明治10年代後半)には、ついに日本へもこの文化が輸入されます。
先ずは外交上として社交ダンスを要する上流階級が、欧米に倣ってカドリーユやウィンナワルツなど、所謂「ウィーンの社交界スタイルのダンス」を取り入れるようになったのです。

ヨーロッパ諸国では庶民の中で生まれた踊りですが、日本では逆に、最初は富裕層を中心に広まったということですね。

<20世紀~>
ヨーロッパ諸国の中でも特に偏見が残っていたイギリスでしたが、
とある夫妻が、従来のつま先だけで踊るという社交ダンスのスタイルを「かかとから歩いて踊る」という新しいスタイルへ変化させたことによって優雅さが増し、イギリスでは競技ダンスとしても確立されました。
また、20世紀前半には北米生まれの音楽(ジャズ等)が誕生・流行したことにより、ラテンアメリカ音楽に合わせて踊るルンバやマンボ、チャチャチャなどの新しいダンスが世界中に広まり、更に多様化していきます。

日本では、神奈川県横浜市にある鶴見花月園にダンスホールが開設されて以降、やはり富裕層を中心に欧米流の社交ダンスが流行したものの、第二次世界大戦(1939年~)が始まるとダンスホールは次々に閉鎖し、衰退したかのように思えました。
しかし終戦後(1945年~)、進駐軍向けにダンスホールが再び多数開かれ、のちに庶民も通い始めるようになります。それがきっかけとなり、やがて男女の出会いの場としてダンスパーティーが流行しました。

1970年には、日本ではディスコが大流行。
今までのダンスとは違う、形式の緩いダンスが若者に好まれる傾向となり、社交ダンスはインターナショナルを愛好する中高齢者に好まれるようになりました。
しかしその後1996年に上映された『Shall we ダンス?』のヒットがきっかけとなり、若年層の人気も再び上昇していきます。
世界的にも流行となったサルサやメレンゲ、バチャータ、アルゼンチンタンゴが広まったのもこの時代でした。

<21世紀~>
インターネットの発達により、日本にいながらも音楽だけではなく様々なダンスを知るきっかけが増え、近年ではアメリカのスウィングやハッスル、ブラジルのズークなどの新しい流行りが誕生したことは記憶に新しいと思います。
このメディアの多様化により情報伝達が容易になったことで、社交ダンスも同時に多様化し、広く親しまれるようになりました。

現在では国際大会も開かれるほど世界的なダンスとなった「社交ダンス」。
実はこのように海を渡る大きなロマンが存在したのです。
ダンスを通じて各国の歴史を感じ、それが伝承されてきた背景を感じ取ることができるなんて、やはり「社交ダンス」はとても奥深いものですね。